皆さん、山に登ったことはあるでしょうか。
そう聞くと大体返ってくるのは、「高尾山なら登ったことがあります。」あるいは、「富士山は登りました。」この二択です。
確かに高尾山も富士山も、標高差の観点で行くと、登山になります。
ただ、登山客が多すぎる為か、登山というよりも完全に観光地化しています。
高尾山から山登りに興味を持つ方はそんなにいません。
居たとすれば、関東のほとんどの方が登山家になっていることでしょう。
皆さんは、登山というとどのようなイメージですか。
景色が綺麗、マイナスイオンや自然の恵みを感じられる、、、そんな風に考えてはいませんか。
私が思う登山は、もっと危険と隣り合わせで、水が無くて、汚くて臭い、熊がいつ出てくるかわからない、そういうものです。
自然界というものは厳しく、簡単には生き抜いていけません。
登山というものは、下界に居て悠々自適な暮らしや平凡な暮らしをしていると忘れ去られてしまうものを思い起こしてくれるのです。
よく、北海道の猟友会の方がヒグマを駆除したというニュースが流れてきますが、それに対してかわいそうと批判をするのは、山の厳しさを知らない方や、悠々自適な暮らしをしている頭の中がお花畑の方だけです。
自然界においては食うか食われるかなのです。
人間は大きさの割に力が無いので、頭を使うしかないのです。
よって、銃で撃つしか勝ち目がありません。
人間が、生き延びていくためには仕方のない事なのです。
登山においては、普段こうしているからは通用しません。
山小屋が無ければ、水は泊りなら2日分、4リットル(1日2リットルの計算なら)を背負っていかなければなりませんし、ご飯もそうです。
キャンプであればテントや寝袋などを車に積んで移動できますが、山の上で泊まるとなるとそうはいきません。
テントも自力で山の上まで持っていくのです。
電波も入りません。
入ったら奇跡です。
携帯の充電器を持って行っても意味が無いので、モバイルバッテリーしか役に立ちません。
Wi-Fiももちろん入らないので、PCでリモートワークなんてもっての外です。
お手洗い、基本ないです。
山頂にあったら、かなり整備されてる山です。
用を足すために、チップも必要です。
これを聞いてどう思いますか。
登りたいと思いますか。
そう、思わない方がほとんどです。
ですから、登山人口は他の趣味に比べて圧倒的に少ないです。
答えは至ってシンプルで、しんどいからです。
不便だからです。
私たちはそんな不便な時代を生きてきていません。
ですから、楽しいよりしんどいや面倒くさいという感情が勝ってしまう方が多いのではないかと思います。
実は私も登山が趣味でありながら、究極の面倒くさがりなため、そのような感情が勝ってます。
じゃあ、なぜ行くのかというと、日常にある幸せはいつも通り過ごしていても、なかなか感じることはできません。
小さなことで例えましょう。
お腹が空いているときにご飯を食べると、、、より美味しく感じますよね?
暑いところに居て、クーラーが利いてる部屋に入ると、、、快適に感じますよね?
それですそれです。
私にとっての登山の醍醐味は、平凡であること、日常であることがいかに幸せかを再確認できます。
普通のご飯が食べれること、熊が出る恐れが少ない事、交通が便利、電波が通る、道が平坦、トイレが流れる、水を買う場所がたくさんある。
それって皆さんにとっては普通じゃないですか。
山では、その普通が無くなってしまうのです。
山から降りてくるといつもほっとして、涙しそうになる時もあります。
そのくらい自分は幸せだってことなんですよ。
山は人間に感謝の恵みを与えてくれるのです。